ロック誕生50年。
2005.12.13 Tuesday
テレビをつけたらBS2で「ロック誕生50年」という番組をやっている。
今年はロックが誕生して、50年なのか。なんとなく見る。
若い頃、熊本でバンドをやっていた。レディースの。結構本気で。
22才くらいまでライブに出ていたと思う。
そんな若かりしバンドマンな日々の高校生の頃は、学年があがっていくごとにクラスには
友達がいなくなり、私は一人でピアノ室でぼんやりしていることが多かった。
3年の卒業アルバムにはクラス写真がのっているが、その撮影の時にも私はピアノ室にいて
写っていない。今の世の中では、写らずにバックれていることの方が難しそうだ。
高校の頃はバンドをやるためだけに日々が流れていた。
重たいシンセ、ローランドのJX-3Pを担いで、放課後は家の反対方向であるバスに飛び乗り、
練習スタジオのある楽器屋へと繁華街の交差点を何度も何度も走っていった。
親に反発し、先生に反発し、周りの色んなことに反発し、勝手に怒っていた。
勝手、だったかもしれない。それは周りから見ればヒジョーに勝手だったと思う。
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音楽が好きだけれども、その好きな道を行くには余りにもそれはイバラに感じ、
あそこは田舎だと思った。
好きな道に行くための、知恵も、情報も、才能も、支援すらない。
しかし結局、そこに飛び込む勇気のなかった自分が今思えば、
一番頭にくることだったのだ。
とうとう途方にくれたのは、高3の冬だった。
クラスで進路が決まらないのが、私だけになったときだ。
東京の音響関係の専門学校に行きたかったが、
半年以上も父親と話にならない状態が続き
あまりにも先が見えないと感じた私に、どこにも行き場はなかった。
学校も行かず、夜知り合いの店でバイトをしていた。
そこを見つかった。
あと、数日で卒業を迎えるという、寒い夜だった。
ぼんやりと、ことの成り行きをどうでもよく見ていた。
担任は、停学処分だけにはしないようにしてくれたようだ。
そういうことも、何も心には響かなかった。
結局、知り合いのツテで私は地元のIT系専門学校に通うことになるのだが、
そこでも、なんだかどうでもよくぼんやりと過ごしていたように思う。
毎日が過ぎていく。なんだか、それだけ。
高校の頃、一緒に演っていたメンバーはそれぞれの進路を決め、
日本各地に散っていった。
私だけが、残った。ここに。
思えば、そのバンドも、最後は尻切れトンボだった。
私はメンバーから抜けた。あんなに好きだったバンド活動から、抜けた。
よく言う、「音楽性の不一致=性格の不一致」だ。
女子高生としてバンドをやっていた時期、というのは結局のところ短かったが
その凝縮された短い日々の中には、こうして何年たってもスイッチが入ればいくらでも
語れるくらいの、その頃の全てのことがつまっている。
楽しかったことも、うれしかったことも、うまくいかなくて泣いたことも。
出会いや、別れや、ささいなもめごとや、本気で腹を割って話したことも。
くだらないことで笑って、思いついたパフォーマンスをしては尊敬しあって、
寝ずに曲を書き、頭を抱えて詞を書き、文句を言われて喧嘩もした。
悪口もうわさ話も人を傷つけることも、傷つけられることもいっぱいあった。
ほっといてといいながら、ほっとかれることが本当は悲しかった。
毎日が躁鬱で、必死だった。
さっきからBS2でやっている”ロック誕生50年”にロケッツの鮎川誠がでてきた。
あのスパークした日々の中に、この人がいた。
高2の夏、熊本城で開かれた火の国まつり協賛の野外音楽イベントに
シーナ&ロケッツはゲスト出演していた。
リハを食い入るように見ていた私は、
メンバーのギターの子と一緒にステージの前に思わず駆け寄って彼らに向かって叫んだ。
「わたしたち!バンドやってるんです!!」
「おー!そうかーがんばっちょるんやねー」
頑張っていた私に、こんだけ響いた言葉は、当時なかったように思う。
音楽が好きだけれども、その好きな道を行くには余りにもそれはイバラに感じ、
あそこは田舎だと思った。
好きな道に行くための、知恵も、情報も、才能も、支援すらない。
しかし結局、そこに飛び込む勇気のなかった自分が今思えば、
一番頭にくることだったのだ。
とうとう途方にくれたのは、高3の冬だった。
クラスで進路が決まらないのが、私だけになったときだ。
東京の音響関係の専門学校に行きたかったが、
半年以上も父親と話にならない状態が続き
あまりにも先が見えないと感じた私に、どこにも行き場はなかった。
学校も行かず、夜知り合いの店でバイトをしていた。
そこを見つかった。
あと、数日で卒業を迎えるという、寒い夜だった。
ぼんやりと、ことの成り行きをどうでもよく見ていた。
担任は、停学処分だけにはしないようにしてくれたようだ。
そういうことも、何も心には響かなかった。
結局、知り合いのツテで私は地元のIT系専門学校に通うことになるのだが、
そこでも、なんだかどうでもよくぼんやりと過ごしていたように思う。
毎日が過ぎていく。なんだか、それだけ。
高校の頃、一緒に演っていたメンバーはそれぞれの進路を決め、
日本各地に散っていった。
私だけが、残った。ここに。
思えば、そのバンドも、最後は尻切れトンボだった。
私はメンバーから抜けた。あんなに好きだったバンド活動から、抜けた。
よく言う、「音楽性の不一致=性格の不一致」だ。
女子高生としてバンドをやっていた時期、というのは結局のところ短かったが
その凝縮された短い日々の中には、こうして何年たってもスイッチが入ればいくらでも
語れるくらいの、その頃の全てのことがつまっている。
楽しかったことも、うれしかったことも、うまくいかなくて泣いたことも。
出会いや、別れや、ささいなもめごとや、本気で腹を割って話したことも。
くだらないことで笑って、思いついたパフォーマンスをしては尊敬しあって、
寝ずに曲を書き、頭を抱えて詞を書き、文句を言われて喧嘩もした。
悪口もうわさ話も人を傷つけることも、傷つけられることもいっぱいあった。
ほっといてといいながら、ほっとかれることが本当は悲しかった。
毎日が躁鬱で、必死だった。
さっきからBS2でやっている”ロック誕生50年”にロケッツの鮎川誠がでてきた。
あのスパークした日々の中に、この人がいた。
高2の夏、熊本城で開かれた火の国まつり協賛の野外音楽イベントに
シーナ&ロケッツはゲスト出演していた。
リハを食い入るように見ていた私は、
メンバーのギターの子と一緒にステージの前に思わず駆け寄って彼らに向かって叫んだ。
「わたしたち!バンドやってるんです!!」
「おー!そうかーがんばっちょるんやねー」
頑張っていた私に、こんだけ響いた言葉は、当時なかったように思う。
comment
しいさん はじめまして。
あけましておめでとうございます。
再放送まで見てしまって、再び酸っぱい気分のひげです。
年をとるといいことは、物事がより、鮮明に見えるように
なるってことでしょうか。若い頃スパークして見えなかった
ものが今になってわかってくることもしょっちゅうです。
年をとるほどにかっこいい。
ロックな人生ここにあり、です!
これからもこの意気でいきまっしょい!!
あけましておめでとうございます。
再放送まで見てしまって、再び酸っぱい気分のひげです。
年をとるといいことは、物事がより、鮮明に見えるように
なるってことでしょうか。若い頃スパークして見えなかった
ものが今になってわかってくることもしょっちゅうです。
年をとるほどにかっこいい。
ロックな人生ここにあり、です!
これからもこの意気でいきまっしょい!!
はじめまして。あしあと残していきます。
私も今BS2の見てます。
シビレテマス。
涙が出そうです。
年をとってしまったことを感じています。
いや!いつまでもロックな人生でいっちゃりますよ!
私も今BS2の見てます。
シビレテマス。
涙が出そうです。
年をとってしまったことを感じています。
いや!いつまでもロックな人生でいっちゃりますよ!