〜日々日常。それは流るる空模様。
          人生晴れたり曇ったり。〜
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沈黙の度合い。
黄昏える 

 身近で問題が起きたとしよう。

それが自分の子供のことだったり、旦那のことだったり、まぁ自分自身のことだったりしたとき。問題というのは生活レベルかもしれないが、だけどそのときは最大の懸案事項で一日中悩ましく、鬱々とするだろう。

 例えば、お金がなくなっただの気遣いのない言葉を浴びせられただの。
とくに学校生活の中で盗難にあったり中傷されることは、悩ましくそして辛い。ましてや常識のある子供のとる行動といえば大体において「これを言ったら大事になるからだまっとこう」である。

 ある日、盗難の事実を先生に報告するに至った勇敢な子供がいたとする。(今の世の中こういうことを相談するのも勇気がいる)

「先生。じつはお金がなくなりました。」

先生は正直「あたーっ・・・」と思うだろう。
なんで自分の受け持ち生徒からこれが出る、というふうに。当然だ。面倒ごとはキライだ。

そしてみんなの前で言う。
「犯人はだれだ。目をつぶってるから正直に言ってこい。そうすればお咎めなしだ。」

そして正直に言ってくるはずのないヤツを待つ日々・・・。
目立ちたくもないことで、目立ってしまったジブン・・・。


 はるか昔、わたしが学生だった頃こういう「よくあるといえばよくあること」に出くわした先生がいた。

その先生は、思った。
「(多分、お金はでてこないと思う。)」
生徒は思った。
「(まぁ、そうでしょうねぇ。)」

沈黙。

先生は言う。
「もう一度、自分ンチの部屋の中しっかりくまなく探してみ。」
「・・・わかりました。」

職員室の扉を閉めて、生徒は思った。
「(ちぇっ。これでこのはなしは終わりだな。言わなきゃよかった。)」

家に帰って一応部屋をひっくり返してみる。多少心のどこかに「もしかして自分の過失かも」というのも、ある。

・・・・3日かかって考えられるところは家の中も外もひっくり返してみたが、これはもう自分の手元には完全にないな、と結論づける。ここまでくると盗難と考えた方が自然。ため息が出る。

悶々と3日、4日と過ぎていく。そして5日目。

「おい。その後どうなった?」
「(あ・・・先生)」
「・・・そうか、なかったか。」
「もしかして自分の思い違いかも、と思いましたが・・。」
「でも、そんだけひっくり返して探してないんだもんね。」
「・・・・」

「どうする?」
「え?」
「犯人捜しするか。徹底的に。」

正直、そのくらいしてほしい気持ちだった。
でも、断った。

「もう、いいです。結構必死に探したし。先生も一緒に考えてくれたから、いいです。」

その後、半年くらいたってまたその先生が言った。
「おい。あったか?」

 後日談の部分は笑ったけど、あの寂しいような不安でイライラ悶々とした財布捜しの数日間、実は先生も心に留めて考えてくれていた、ということがせめてもの救いに思えた。結局財布は出てこなかったけど、だからって犯人捜しをしてほしかったのかというと、そうじゃないな、と思った。思ったことがあるとすれば、「今度から財布は肌身離さず」ということ。

 多分、先生はあのときの私以上に色々考えたはずだ。ひょっとしたら泣くほど辛かったかもしれない。こう思ったのは私がもう随分大人になってから。大人の自分から考えれば、きっとそう。

 心底困ったなぁと思ったとき、いい結果がだせないと薄々わかっていても、そばにいる人間が一緒にきちんと考えてくれているという道程にこそ感謝すると思うんだ。

 結果っていうのは、どんなに人がまわりにいてもいなくても、最後は自分一人でださなきゃいけない。自分でえらばなきゃいけない。でもそこに辿り着くまでには時に一人では孤独で悲しすぎて、そのことにめげてしまって、出せる答えも出せなくなってしまう。

そっと寄り添ってくれること、陰ながらでも味方でいてくれることは一筋の光だ。

 あのとき、勇気をだして先生に告げたけど、告げっぱなしでなんとなくうやむやになって終わったら(よくあることだよね)思春期のネジはまた一つビヨンとどこかに飛んでいってたことだろう。

 その結果に対して自分が何もしてあげられないとき、せめてその人が必要としなくなるまで、一緒にその道を歩み、一緒に考えることはできるんじゃないか。

 もう一つ。
この先生は担任ではなかったのだけど、いわゆる「いい先生」ではなかったと思う。

「いい先生」に「いい人間」に「みんなに好かれる人間」になりたがってる先生が多い中、飄々と常識的に普通だった。今思えば、私のようにあんまり喋らず、しかもそう目立つ生徒でもない生徒にこそ、なんとなく背中を押すように話を聞いていたような先生だったと思う。

 自分も親になって、いずれ子供が自分と似たような経験をしだすだろう。そのとき、きっと私はこの先生のことを何度も何度も思い出す。今は顔も名前も忘れてしまった先生だけど。


 「お金」のところをいじめや今テレビで話題になっている悲しい懸案事項に置き換えてみた。置き換えてみて思うのは、最後は当事者がなにをどう選択していくかなんだけど、それをひとりぽっちでさせるのか、というところだと思う。

 未来を選び取る瞬間は一人だ。
それは当事者の未来ためにもそうじゃなきゃいけない。

 しかし、そこまでに至る過程すらひとりぽっちでは、あまりにそれは寂しすぎるじゃないか。

04:03 ひげのつれづれ comments(0)
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