〜日々日常。それは流るる空模様。
          人生晴れたり曇ったり。〜
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年頭に寄せての。
正月だ。東京に来て何度目かの。

最近は元旦にまとめて葉書が届くということが、前よりは緩和されてきたように思う。
緩和とは、出す方がというより受け取る側との間に入っている機関の問題なのかもしれない。

以前は元旦にごっそり葉書が届き、次の日は配達も新聞さえもお休みだった。
郵便局も新聞社も「燃え尽きたぜ・・・ジョー」という感じがした。

しかし例の郵政民営化後、配達は日に2回、正月に至っては日曜も2度配達されていた。
それが毎日ダラダラ一週間は続いた。良くなったことも緩和なら、緩く薄じょっぱく締まりが悪くなることも緩和というのだろうか。

集中力で太く短くがいいか、それとも万全を期して細く長ーくがいいのか。今後に期待。


さて年賀状と言えば、結婚や引っ越しをしたときに出すご挨拶。
ちょうど正月が重なればそれに乗じて書いてしまえば一石二鳥でスマートだと思うが、十数年前の私たちの時のことを思い出してみると、結婚式が6月だったんで別枠でご挨拶葉書として出したのだった。たしか秋口に。

こういうときお決まりと言えば、写真葉書だ。
結婚式の写真はそのときご厚意でファイル数冊分にもなる写真を撮って下さったうちのひとの友人がいて、多すぎて選ぶのが大変だーなんてうれしい悲鳴をあげていた。

そして我ながらのベストショットの一葉も決まりかけていたころ。熊本の義母から電話。

「あーキミしゃん。葉書はもう作ったけん。すぐそっちに送るけんね。」



・・・ガーン。

義母はなんでもかんでも強引に自分で決める人だったのだ。
結婚式では危うくウエディングドレスまで決められそうになった。が、そこは譲れない。
しかし、お色直しのドレスを譲った上での奪取権獲得であった。

そして式の後上京した新婚夫婦の新居には義母が決めたカーテンが鎮座していた。

この、自分の中にはないカラーセンスのおかげでどれほど後の設えが困難になっただろう。
選んだ人が人だけに、やたらその色が全面に出てくる。なにをやってもそのカーテンの色に打ち消され、やること全てが裏目に出る。なのに、そのカーテンは名だたるカーテンメーカーのブランド品なので、その辺のホームセンターの折り目の付いたポリエステルの軽いカーテンとはワケが違う。

ありがたい、ありがたいと心から思った。思ったから、せめて私と一緒に選ばせてほしかった。

新婚直後からこういうことは頻繁でそのうちこの強引さにも慣れてきて、のらりくらりとかわすことも、受け止めることもできるようになったのだが。


さっきの挨拶状が早速送られてきた。渋々中身を見る。

「うえ〜・・・」

写真ナシ。白地に字面。一応結婚のご挨拶なんで、気持ちばかりの金の縁取り・・・・。


う・う・うえ〜〜ん


その頃は夢も希望もついでに花もある、結婚したての若妻だ。
自分なりに色々と思いを膨らませて、嫁いできたのである。

つましいけれど、一つ一つ二人で選んだものを増やしていこう。
つましいけれど、二人で小さい家庭を作っていこう。
つましいけれど、挨拶状は二人のウエディング姿。
縁取りはやっぱ、ディズニー風?

今になればどーでもいいことが、若い頃には深く傷つくことも、ある。
私はショックで泣いた。そして泣きながらその白地に字面の印刷葉書に「ありがとうございました云々」という字を延々書き続けなければならなかった。

それは新婚に似つかわしくない苦行とでもいうべきものだった。


そんな新婚生活のスタートは、それからを暗示するように、その後数限りなく大小取り混ぜて似たようなことがいくつもあった。先にも書いたが、しかしそういうことにも人は慣れる。義母はよかれと思って一生懸命やってくれているのだからしょうがない、ということに気付くのにそう時間はかからなかった。


いつか帰省したときに義母とおしゃべりをしていた。そのときふと義母が言った。

「写真の入った葉書は捨てられんけん困るとたい」
「ど、どういう意味ですか?それ」
「写真の入っとると粗末にできんけん、整理しても捨てるに捨てられんどが」

新婚の頃悲しい思いをしたあの記憶が蘇った。

そうか。義母はそういう思いがあったから、あの挨拶状を写真抜きのあんなシンプルなものにしたんだ。あれはもらう方の気持ちに立ってしたことだったのか。

私は積年の心のつっかえ、わだかまりのようなものがすーっと取れたような気がした。
そして「やっぱりババの功はすごい」と心底思った。

・・・思ったが、やはり一言、言ってほしかったってのはある。
他人のことを思うばかりに、だからと言ってあのシンプルぶりったらなかったし。

「うれしかとばってんね〜」
ババはそう言った。


義母は、冠婚葬祭の達人であり、生き字引のような人だ。それは百戦錬磨の経験率を誇る、実践の賜だ。並みの経験値ではない。冠婚葬祭の婚と葬にいたっては右に出るものはおそらくいない。結婚したてのペーペーの若妻がどーのこーの言えたもんでは、ない。

そういう人の知恵というのは、長年の蓄積の結果だから、ゆえに行動は説明無しのチョー不可解と言うことも少なくない。職人さんがそうだろう。師匠の行動の意味は、長年かけて弟子が読み解いていくしかない。その読み取りの試行錯誤こそが修行なんだろう。

義母は強引で心配性で押しつけがましいところもたくさんあるけれど、その行動の意味を少しずつ私は解読している。解読に成功している、というべきか。
それは嫁としてだけではなく、人として尊敬する人生職人の弟子として。



そう言えば、私たちが出す年賀状というのはだからというわけではないが、写真があんまり付いてないな。息子が小さいときはさすがに載せていたころもあったが、最近は。

今年などは、丑年に海をひっかけて、ウミウシの年賀状を作った。

事情を知らない人やもしかしてウミウシってなに?な人には、またここの家は奇妙な葉書を、とあきれたかもしれないが、制作者(私)は制作者なりにものすごく考えての画ヅラだったりします。ホントーです。だからといってはなんですが想像の余地があるような気もします。人はどの位年賀状をしっかり見るのかわからないけど、その一瞬の合間に、この人達はどうしてるだろうか、と想像してくれたらウレシイ。

私たちの写真はないけれど、その画ヅラから。

だけど時が経って、そーだなー3年もしたらもちろん整理して捨てて下さい。

そのかわりまた新しく、かっちょいい写真を撮って葉書を作ります。



今年もカメラ担いで、出来る限り海にも行って・・・ますます奇妙な画ヅラを探します。




2009年もよろしく。


正月氷川神社にて。

01:31 ひげのつれづれ comments(0)
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