〜日々日常。それは流るる空模様。
          人生晴れたり曇ったり。〜
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帰省終了。



帰省。

これもりっぱな「旅」だろう。
荷物の詰め詰めから移動手段、日数、そして費用の面から考えても。
今年なんかはとくにそうだ。うちのひとのスケジュールがギリギリまでわからず、チケットの手配が遅れ、家族3人が3人とも普通運賃になってしまった。

ふっ普通運・・・

そんな運賃設定があることすら忘れ果てていた。
航空機に正規料金で乗ることほどくやしいものはないと思う私。おいおいなんのための先得であり旅割か?と思う。しかし、盆暮れ正月等はなおさらうちみたいな自由業で計画性のない一家には到底利用不可な制度。タケもいっちょまいに大人料金扱いだから、もう被害は甚大。たかが帰省に、海外旅行いやそれ以上の金をつぎ込まざるおえないやるせなさ。

あはぁ〜・・・。
グハァ〜〜・・・・。

胸中そんなであったものの、一週間の帰省はうちのひとと私の両実家半分ずつ、今年も滞りなく粛々終了。

私はと言えば、熊本の湿気にやられ髪は爆発、顔はベタベタ。
これに順応して生きていたのかと今さら驚く、都会型乾燥仕様になって幾年の自分でした。

ちなみに今の髪型(パッツンおかっぱ風)を爆発させっぱなしにすると、そのうちバナナマンと言われ出す。夜、眼鏡をかけるとさらにそれはケンチョのようだ。


姪のゴジとひげの父。








09:35 旅いろいろ comments(2)
麺太郎、朝市へ行く。
タケ、高山の朝市にて。朝市つっても昼までやっとるんやよ。


さてなにが。





なーにーが入ってるかっ!






しょばっ


しょばっ!








さてなにが。





なーにーが入ってるかっ!








ひーだーぎゅっ


にくっ!!











さてなにが。






なーにーがー








なんすかこれ。


なんだこれ?!









さてなにが。







なーにーがー








みくだりはんっ



おしまいっ!










高山の朝市にて飛騨高山のおいしいものを日々紹介中のこのおじさん、実は水車が動力なんだそうです。おっさんが紹介中についでにそばでも挽いてるのでしょうか。ちなみになんだこれ?!は朴葉みそと思われます。にく!はみなさまご存じ高級肉飛騨牛。



*****************************

(旅の途中ですが、本日より一週間実家に帰省のため”麺太郎の旅”しばしお休みいたします。飛騨書きながら熊本で、住んでるのは東京。わけわかんなくなってきました。)

02:23 タケ語録 comments(0)
麺太郎的時事問題。
定時連絡。
「あんねー、街の中にね、川柳がちょうちんにずらーっと書いてあった。」

ほうほう、この時期に川端に川柳とはなんて風情ある街なのであろうか、高山ってとこは・・・。
川柳。















無邪気にカメラを向けている我が息子の姿を思う。



時事問題。



01:58 タケ語録 comments(0)
麺太郎、カツ丼も食す。
お母さん。









お母さーんは










手、ながっ!










手、ながっ!!











お父さん。









お父さーんは











足、ながっ!!











足、ながっっ!!!







飛騨高山の夫婦像でした。(by タケ)
01:47 タケ語録 comments(0)
麺太郎、心の旅。
旅は。

いったいなぜ麺太郎、もとい、うちの息子のタケが一人旅に出たかというとそれはもう決まっていたとしかいいようがない。

4〜5才の頃だったかいわゆる第1ポケモン世代のタケは、151種類のポケモンの名前を進化型もあわせ3日で覚えてしまった。こんなことはあの頃の子ども達にとってはなにも不思議なことではなかった。みんなそうだった。

そして、サトシのように10才になったらポケモントレーナーになって旅に出るんだと信じていた。

・・・いや、少なくともうちのタケは。


「お兄さんになったら旅に出れる」という、幼い脳ミソに強烈に焼き付いたイメージはその後心の奥底に潜りはしたが、憧れとなって熟成していく。


そして10年が経った。

中2ともなれば、だれもが反抗期でクサクサしていて、あつかいにも困るようになる。自分にも覚えがある。うちのひとに言わせれば私と言う人間は、反抗期が嫁に行くまで続いたらしい。

その反抗期のエネルギーの方向が間違うと、どうなるか。
暴力やいじめに向かう。内にこもれば、ひきこもることになる。どんなことでも起こる。
学校中が渦の中のように感じる。

旅に出たい、ということを止めなかったのも、そういう中学生がだれでも持ってる理由なきエネルギーの一つの方向性を見たように感じたからだった。こういうエネルギーの使い方もありかもしれない、と。

自分だけの力で誰にも文句を言われず何かを成し遂げることの高揚感。
彼はそれを感じたいのだろうと思った。

折しも、そんな反抗期の渦巻く怒濤の中学校生活の中で、将来の進むべき道を見つけた時期でもあった。(パスタ食いまくりの旅、ではない。)


ホテルはネットで私が取った。事前にタケには内緒で「中学生がお世話になります。」と電話もかけた。JRの切符も私が手配した。バスの予約も。このようにお膳立てを全くしていないわけではもちろんないが、親がやってあげたことなんてたったこの程度。

自分で荷物を詰め、いくばくかのお菓子を持ち、スケッチブックと色鉛筆も持って行った。

早朝、駅まで車で送った私を息子は振り返りもせず、真っ直ぐにホームに向かって歩いていった。

その後ろ姿を見つつ信号は青に変わり、私は車を静かに発進させた。
左折をしたところでもう一度バックミラーを見たが、真っ直ぐなその後ろ姿に変わりはなかった。

背筋がピンと伸びていた。




まだまだ旅は続く。


20:22 タケ語録 comments(6)
一日三食、麺太郎。


旅立つ前の日、私のお気に入りのキャラを書いてくれるというので、BLEACH(週間ジャンプ掲載中)の日番谷冬獅郎を書いてもらった。今この、ひつがやとうしろう、と変換するにあたって私は全部訓読みでいちいち変換しました。少年誌のキャラの名っちゅうのは、まことに大仰かつややこしい。しかしそこがまた、よい。

今頃画伯は、飛騨高山から新しく開通したという高速道路を通り、白川郷に達しているはずだ。
先ほど昼の定時連絡が入ったが、順調に滞りなく旅は進んでいる模様。昼食は、と聞くと

「・・・・しょ、しょば。」と答えた。

そういえば昨夜は「ラァメン。」と一言メールがきた。
そのまえは「そばー」と元気に報告してきた。

昨日早朝出発してからというもの、彼は毎食麺類を食べているようだ。


将来もうちょっと大きくなったら、彼にはやりたいことがある。それは。

「イタリア・パスタ食いまくりの旅」

イタリアをくまなく回り、パスタを毎日3食浴びるほど食べまくる旅、をしたいんだそうだ。そんなことに付き合う友達が出来れば願ってもないことだが、そんなくいだおれに付き合う友達が出来るのか希望は薄い。

だったら一人で行くしかない。その旅を実現させる最初の一歩、と考えれば、今回の彼の一人旅、それに伴う食事行動も合点がいっていただけると思う。


「今夜はご飯食べるけん(親子間では熊本弁)」とはずかしそうに言っていたが、今夜も多分メンだろう。一日三食、麺太郎。


旅は続く。

14:24 タケ語録 comments(0)
一日三食、麺。



とうとう息子のタケ(中2)が旅だった。

一人旅である。

世界遺産を見るべく、岐阜へと。

で、どんな世界遺産の写真が送られてくるかと首を長くして待っていたら、
送ってきた一発目の世界遺産の写真がこれだった。

タケよ。しっかり社会勉強してくるんだぞ。

13:57 タケ語録 comments(0)
悪食連鎖。
うちのネムノキは汗をかく。

去年の秋、さる理由でストレス発散的衝動買いをしてしまったのが、ネムノキだ。
見上げるほど大きく、リビングに置いている今、天井につっかえている。

夜になると、その葉は全部閉じ、朝になるとまた開く。

ネムノキはさながら巨大オジギソウのようだ。
そんな植物だとは買ってから初めて知ったので、最初の晩は「家に来た日の夜にもう枯れたよこの樹は!」とびっくりしたもんだ。

しかしよくよくこの樹の名前を考えてみると、これはもうお辞儀なんてもんじゃなく、その名の通り眠ってる、ネムノキというのは、正しい。

そんなネムノキが最近ちょっと問題児だ。

樹液を振りまくのである。

それもワサワサと茂った葉っぱから、ほとんどくまなく四方八方に、霧状に。
床の拭き掃除をしながら、樹液というのは私の思いこみかもしれないと思ったが、やはりそれはベタベタとしている。そして今日、やっぱりそれは樹液なんだとわかった。

中2のチャレンジャー、息子の登場である。

「ママ。これはやっぱりどうにかしないとね。」
「そうだよなぁ〜・・部屋の中でベタベタ振りまかれるのはイヤだ〜・・・」
「ベランダに出す計画はどうなったの。」
「だって、でかすぎて一人じゃどうにも・・・」
「そういえば、たた(うちのひとのこと)とは2日くらい会ってないね。」
「車ごといないね。」
「ママ。樹液なら甘いはず。」

急に本題に話を戻す息子だ。

問題のネムノキを挟んでうだうだ話しつつ、息子はその葉っぱに付いているベタベタを指にピッと取った。そして、ペロッと舐めた。

しかしそれではあまりわからなかったらしく今度は葉っぱごとベロっと舐めた。

「甘い!やっぱりこれは樹液だね。」

”樹液を四方に振り撒きます”と花屋は明記すべきである。
ボンヤリしてそうな名前の樹のくせしてこんな事態になろうとは。
あまりのベタベタにうちの猫も寄りつかない。

それにしても。
息子のタケというのは、どうして樹液が甘いと知っているのか。

もちろんそれは、いつか山の中でなめたことがあるからなんでしょう。

ちなみに、ツツジの花とガクの境目に甘い蜜があるらしく、小学校の帰りによくそれを吸いながら帰って来ました。それは彼の春のお楽しみだったようです。

「いろいろ試してみたけど、ツツジが今のトコ一番おいしい。」
ここまでで止めておけばまだ可愛かったのだ。

しかしタケのチャレンジャー精神は止まるところを知らず、当時の歴代ペットだったハムスターのエサの味各種、カブトムシのエサ(おそらくあのゼリー状の)の味、そしてグッピーのエサの味も知っていたりする。

ということは、もちろん今家にいる猫のエサ(カリカリ)の味も当然知っているわけで。

味を知っている、ということをひょんな会話から察してきた私の身にもなってほしいが、いったいいつどこでそのブツを味見しているのか、それを追求したいとももう、思わない。

ついでに言うと、絵の具の青と赤と黄色と茶色くらいの味は威張った顔して「知っている」と小4の時に豪語した。ということは、墨汁の味とか、鉛筆の味とかくらい知らないわけがないのだった。



ああ。


あああ。


でも、私はそんなバカ息子を少しも責められない。なぜならば。

この悪食は私の過去と密接に関係があるのではないかと思うからだ。



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02:43 ひげのつれづれ comments(6)
オカルト事件。
やっぱり箱が好き。

2〜3日前から私は機嫌が悪く、体調も悪く、頭の回転も悪く、何でも悪い方へ行く気がしてムカムカしていた。

寝付きも悪く眠りも浅いので、昼間ウツラウツラしては変な夢を見て、ますます気分は悪化した。

もう!もう!もう!

・・・仕事場から聞こえてくる女性ボーカルの歌声すら悪魔教のテーマソングに聞こえてくるので、怒りの矛先はうちのひとに向くこととなった。

それは一触即発、ぼんやりしている水牛を狙う草むらに潜むベンガルトラの如し。憐れ水牛、無防備すぎることこの上ない顔してへらへらこっちを見てる。ますます腹が立つ。

かくして、牛はトラの餌食に・・・

ふぁん

「げっ!まただ〜!ここんとこしょっちゅう〜」
トラ、叫ぶ。

実は、体調悪いに加え、ここ2〜3日私の視界の端に何かが見える。
もちろん、なにもいない。
でも、またふいに何かが目の端をよぎる。
そしてそれは、スッと消える。

とうとう、うちのひとがどこぞから、何かを連れてきてしまったのか。

「げげ〜〜っ!」

「おまえなぁ、勝手に人のせいにすんなよ〜〜っ。」


「だってたまにマイナスオーラにあたるじゃん!」


事実うちのひとは、マイナスオーラを発する人、とやらのそのオーラをまともに浴びて、腕が痛くなるだの、体調が一週間おかしくなっただのという経験がある。

霊感があるとかそういうことではまったくない。
私が思うにこれは、あまりにも無防備すぎる結果なのだからして、と厳しくいつも非難する。なぜなら人好きのうちのひとはあまり人を疑うことをしない。去る者は追わないまでも、来るものは何も拒まない。オープンなのは結構だけど、だからたまに妙なものにあたるのだ、と私は言う。

そんなうちのひとだもの、外からなにか連れて帰ってきてもおかしくない。
腹立ちついでにうちのひとに塩でもまいて、陽にあてて、日光消毒でもしようかと思った矢先、うちのひとが言った。

「昔、俺の家で猫を飼っていた。」
「うん、知ってるよ。」
「その猫が死んだあと」

もう、完全にそっちの話になってきた。こいつぅぅ・・・塩まく位じゃ気が済まーん!!

「死んだ後、残像がチラチラするような気がしばらくしてた。」
「残像。」
「今まで何年も、自分の足下を気付かないうちに気にしてた名残というか。」



「クルル」

うちにも猫がいる。いつも踏みそうになるくらい足下でじゃれる若い猫が。家族の誰かが階段を登ったり降りたりすると、我先にとポールポジションを取りに来る。階段の上り下りは無意識に慎重なのかもしれない。いや、人間が。じゃないと階段から猫踏んで自分が落ちる。

「クルル」

扉を閉め損なって何時間も納戸に閉じこめちゃったこともあったな。

「クル〜」

段ボールの中から突然飛び出してきた、と言ってうちのひとが髪逆立ててびっくりしてたな。

「・・・くるる〜」

さっきから今も足下で猫が鳴いてるよ。鳩みたいな声で。

そういや、もう一年半も頭のすみにはいつも猫スペースがあるんだよ。

自分の視界の下の方でいつも何かが動く。

いつも何かしら、心を配らないといけない小さきものが。


「わかった、わかった」
好物のいりこを10本。からからと皿に入れた。

すごい勢いで食べている。

・・・誰も取らんてば。


苦し紛れに思い出したこととはいえ・・・うちのひとの猫残像論は妙にナイスだった。


なんかスッキリしたので、ベンガルトラは今日からまた普通の羊に戻りますです。(いつもは羊っぽい。ほんとよ。)




00:51 ひげのつれづれ comments(0)
沈黙の度合い。
黄昏える 

 身近で問題が起きたとしよう。

それが自分の子供のことだったり、旦那のことだったり、まぁ自分自身のことだったりしたとき。問題というのは生活レベルかもしれないが、だけどそのときは最大の懸案事項で一日中悩ましく、鬱々とするだろう。

 例えば、お金がなくなっただの気遣いのない言葉を浴びせられただの。
とくに学校生活の中で盗難にあったり中傷されることは、悩ましくそして辛い。ましてや常識のある子供のとる行動といえば大体において「これを言ったら大事になるからだまっとこう」である。

 ある日、盗難の事実を先生に報告するに至った勇敢な子供がいたとする。(今の世の中こういうことを相談するのも勇気がいる)

「先生。じつはお金がなくなりました。」

先生は正直「あたーっ・・・」と思うだろう。
なんで自分の受け持ち生徒からこれが出る、というふうに。当然だ。面倒ごとはキライだ。

そしてみんなの前で言う。
「犯人はだれだ。目をつぶってるから正直に言ってこい。そうすればお咎めなしだ。」

そして正直に言ってくるはずのないヤツを待つ日々・・・。
目立ちたくもないことで、目立ってしまったジブン・・・。


 はるか昔、わたしが学生だった頃こういう「よくあるといえばよくあること」に出くわした先生がいた。

その先生は、思った。
「(多分、お金はでてこないと思う。)」
生徒は思った。
「(まぁ、そうでしょうねぇ。)」

沈黙。

先生は言う。
「もう一度、自分ンチの部屋の中しっかりくまなく探してみ。」
「・・・わかりました。」

職員室の扉を閉めて、生徒は思った。
「(ちぇっ。これでこのはなしは終わりだな。言わなきゃよかった。)」

家に帰って一応部屋をひっくり返してみる。多少心のどこかに「もしかして自分の過失かも」というのも、ある。

・・・・3日かかって考えられるところは家の中も外もひっくり返してみたが、これはもう自分の手元には完全にないな、と結論づける。ここまでくると盗難と考えた方が自然。ため息が出る。

悶々と3日、4日と過ぎていく。そして5日目。

「おい。その後どうなった?」
「(あ・・・先生)」
「・・・そうか、なかったか。」
「もしかして自分の思い違いかも、と思いましたが・・。」
「でも、そんだけひっくり返して探してないんだもんね。」
「・・・・」

「どうする?」
「え?」
「犯人捜しするか。徹底的に。」

正直、そのくらいしてほしい気持ちだった。
でも、断った。

「もう、いいです。結構必死に探したし。先生も一緒に考えてくれたから、いいです。」

その後、半年くらいたってまたその先生が言った。
「おい。あったか?」

 後日談の部分は笑ったけど、あの寂しいような不安でイライラ悶々とした財布捜しの数日間、実は先生も心に留めて考えてくれていた、ということがせめてもの救いに思えた。結局財布は出てこなかったけど、だからって犯人捜しをしてほしかったのかというと、そうじゃないな、と思った。思ったことがあるとすれば、「今度から財布は肌身離さず」ということ。

 多分、先生はあのときの私以上に色々考えたはずだ。ひょっとしたら泣くほど辛かったかもしれない。こう思ったのは私がもう随分大人になってから。大人の自分から考えれば、きっとそう。

 心底困ったなぁと思ったとき、いい結果がだせないと薄々わかっていても、そばにいる人間が一緒にきちんと考えてくれているという道程にこそ感謝すると思うんだ。

 結果っていうのは、どんなに人がまわりにいてもいなくても、最後は自分一人でださなきゃいけない。自分でえらばなきゃいけない。でもそこに辿り着くまでには時に一人では孤独で悲しすぎて、そのことにめげてしまって、出せる答えも出せなくなってしまう。

そっと寄り添ってくれること、陰ながらでも味方でいてくれることは一筋の光だ。

 あのとき、勇気をだして先生に告げたけど、告げっぱなしでなんとなくうやむやになって終わったら(よくあることだよね)思春期のネジはまた一つビヨンとどこかに飛んでいってたことだろう。

 その結果に対して自分が何もしてあげられないとき、せめてその人が必要としなくなるまで、一緒にその道を歩み、一緒に考えることはできるんじゃないか。

 もう一つ。
この先生は担任ではなかったのだけど、いわゆる「いい先生」ではなかったと思う。

「いい先生」に「いい人間」に「みんなに好かれる人間」になりたがってる先生が多い中、飄々と常識的に普通だった。今思えば、私のようにあんまり喋らず、しかもそう目立つ生徒でもない生徒にこそ、なんとなく背中を押すように話を聞いていたような先生だったと思う。

 自分も親になって、いずれ子供が自分と似たような経験をしだすだろう。そのとき、きっと私はこの先生のことを何度も何度も思い出す。今は顔も名前も忘れてしまった先生だけど。


 「お金」のところをいじめや今テレビで話題になっている悲しい懸案事項に置き換えてみた。置き換えてみて思うのは、最後は当事者がなにをどう選択していくかなんだけど、それをひとりぽっちでさせるのか、というところだと思う。

 未来を選び取る瞬間は一人だ。
それは当事者の未来ためにもそうじゃなきゃいけない。

 しかし、そこまでに至る過程すらひとりぽっちでは、あまりにそれは寂しすぎるじゃないか。

04:03 ひげのつれづれ comments(0)
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